ぶどうの栽培

異なる土壌と異なる気候条件をもった13の生産地域、約160 の集合畑(グロースラーゲ)と2650 の単一畑(アインツェルラーゲ)、個々のワインに独自の輪郭を与え、様々な品質等級、様々な味わいのワインを提供する何千人ものワインの造り手 — これらがドイツワインならではの多様性、典型、伝統的ならびに革新的なワインスタイルの土台を形作っています。ここでは3つの大きなテーマ、すなわち畑とその土壌、気候、そして歴史を取り上げます。

気候について

気候要因(日照時間、降水量、気温)はぶどうのあらゆる生物学的、生化学的プロセスを支配するほか、成熟期に果実を構成する物質の生成と分解に影響を及ぼし、収穫されるぶどうと得られるワインの品質を左右します。土壌には水、養分、熱が備蓄され、品種ごとのワインの個性を形作ります。

ドイツは世界最北のぶどう栽培地のひとつであり、「クール・クライメイト(冷涼気候)」地域に属します。暖流であるメキシコ湾流が西ヨーロッパの気候に影響を与えているため、ドイツにおいてもぶどう栽培が可能なのです。とはいえ、ドイツのワイン生産地の気候や天候は、地中海地域のそれとは比較にならない生育条件をぶどうに課しています。具体的には、以下のような根本的な違いがあります。

  • ドイツの生産地のぶどうの生育期の日照時間は、ヨーロッパの南部にあるワイン生産国よりもはるかに少ない。
  • 平均気温がより低い。
  • ドイツの生産地では、果実が成熟する夏期の降水量が、年間降水量の大部分を占める。
  • 南方にあるワイン生産国では、ぶどうの成熟期に水分が不足する。
  • ドイツの生産地では、ぶどうの成熟ととも に雨量が減少する。
  • 南の近隣国では、収穫期の雨量の増加が顕著である。

ぶどう栽培の際の気候的必要条件

  • 年間日照時間1300時間
  • 年間平均気温が最低9度、生育期の平均 気温が最低18度
  • 開花期の気温が最低15度
  • ぶどうの成熟期の平均気温が15〜20度
  • 年間降水量が最低400〜500ミリ

土壌について

ワイン用ぶどうの栽培は、充分な深さを持ち、適量の細かな土を保持している土壌に限って、満足の行く結果を得ることができます。ぶどうは土壌で根を張り、水分と養分を吸収することができなければなりません。土壌はぶどうの木の成長ぐあいを左右するだけでなく、実るぶどうの味わい、さらにそのぶどうから造られるワインの味わい、つまり個性の決め手となります。

物理的な観点から言うと、ぶどう畑は通気性と水はけが良く、しかも適量の水分が供給されなければなりません。通常、水分を多く含む土壌は冷たく、しっとりとした乾いた土壌は暖かく感じられます。濃い色の土壌は照射熱を吸収し、明るい色の土壌はその大部分を反射します。そのため、濃い色の土壌は熱の蓄積が早く、明るい色の土壌よりもより熱を多く保持しています。

現実には、ぶどうの栽培はあらゆる土壌で実践されています。唯一の例外は純粋な腐植土土壌です。腐植土は極端な酸性土壌であり、ぶどうには理想的な生育条件を提供することができません。また、土壌にはカルシウム、カリウム、窒素、リン酸、マグネシウムといった、主要栄養素がバランス良く確保されていなければなりません。ある土壌が、全てのぶどう品種に適しているわけではありません。土壌にふさわしい品種を選び、ぶどうが必要とする栄養を土壌に補給し、モノカルチャーである畑に、侵食を防ぎ、窒素を供給する植物の種子を蒔くことによって、持続可能な土壌利用が可能になります。

ドイツのワイン生産地では、主に以下のような土壌が見られます。

  • 雑色砂岩
  • 片麻岩、花崗岩
  • グレーワッケ(硬砂岩)
  • コイパー(泥土岩)、ギプスコイパー(石膏質泥土岩)
  • ローム(レーム)、粘土、砂、岩石を含有
  • マール(メルゲル、泥灰)
  • レス(黄土)
  • ムッシェルカルク(貝殻石灰岩)
  • スレート(シーファー、粘板岩)、風化粘板岩
  • 小石
  • 原成岩
  • 凝灰岩

もちろん、全てのぶどう畑の土壌が、これらの主な土壌グループに分類されるわけではありません。上記の様々な土壌のほかにも、無数の混合土壌があるからです。ここで重要な役割を果たすのが、個々の土壌にふさわしい台木選びです。土壌の影響は、その他の要因との関連性において見る必要があります。

ドイツワインの歴史

ローマ人がやってくるまで

紀元前50年ごろ

古代ゲルマン人はメット(Met)と呼ばれるものを飲料としていました。クロスワードパズルによく出てくる「3文字の蜂蜜ワインの名称は?」という質問はおなじみのはず。このワインにはぶどうは使われていませんが、アルコール醗酵飲料です。はっきりとした原因は解明されていなかったものの、メットが人々を酩酊させる飲料であることは広く知られていました。

ローマ人たち

紀元前50年以降

ゲルマニアが征服されたために、モーゼル地方、そしてライン地方にぶどうがもたらされました。モーゼル地方はドイツ最古のぶどう栽培地域です。トリーアはアウグスタ・トレヴェロールムと呼ばれ、西ローマ帝国の首都でした。多くの考古学調査によって発掘された複数の圧搾場(ピースポート、ブラウネベルク、エルデン)は、モーゼル地方のワイン文化の繁栄を今日に伝えています。

叙事詩「モゼラ」

紀元後371年ごろ

ローマの執政官で詩人のデキムス・マグヌス・アウソニウスは、モーゼル川とその急斜面のぶどう畑について483のヘクサメトロスで構成される叙事詩「モゼラ」を書き残しました。ローマ人は当時、ワインを船で運搬していました。3世紀に作られたというワイン商の墓、通称「ノイマーゲンのワイン船」がトリーアのライン地方博物館に保存されています。またノイマーゲン・ドローンでは当時のワイン船を再現した全長18メートルの船に乗って観光することができます。


カール大帝

800年ごろ

フランスを支配していたカール大帝は、主に修道院で行われていたワイン造りにダイナミズムをもたらしました。インゲルハイムで冬を過ごしていた彼は、ライン川の対岸の斜面の雪が、他の場所よりも早く溶ける様子を見て、その地がぶどう栽培に適していることに気づいたのです。カール大帝はシュトラウスヴィルトシャフト(醸造所が季節限定で経営する居酒屋)を提唱した人物としても知られています。850年当時、ヘッシッシェ・ベルクシュトラーセ地方にあるロルシュ王立修道院だけで、約900ものぶどう畑を所有していたと言われています。

修道士、修道女、聖界諸候

1100年以降

ラインガウ地方のシトー会派のエーベルバッハ修道院(1136年)、聖女ヒルデガルド・フォン・ビンゲンが活躍したリューデスハイムのベネディクト会修道院ザンクト・ヒルデガルト、アール地方のアウグスチヌス修道院マリエンタール(1137年)といった修道院の設立は、ワイン造りにおいて大きな意味をもっています。修道士たちは多くのぶどう畑を開墾しました。 プレラート(高位聖職者)、キルヒェンシュトゥック、ドームデヒャナイ、アプツベルク、ドームプロープストなどの畑名は、それらが教会の所有だったことを思い起こさせてくれます。

栄華を伝える大樽

17世紀から18世紀にかけて

30年戦争(1618-1648年)勃発前、ドイツのぶどう畑は史上最大規模を誇っていましたが、この戦争で多くの畑が荒廃し、失われてしまいました。しかし支配者たちはいつの世も巨大なるものに囚われているもの。でなければハイデルベルクの大樽の存在が説明できません。1751年に作られたこの大樽の容量は22万リットル。しかし実際にこの樽がワインで満たされたのは3回だけだったそうです。今日も多くの観光客がこの樽を見学にやってきます。


シュペートレーゼの伝令

1775年

シュペートレーゼは偶然の産物であると言われています。その年、フルダの領主司教の収穫許可をラインガウ地方ヨハニスベルクの修道士たちに伝える騎馬伝令の到着が14日遅れたため、修道士らは腐敗(貴腐化)したぶどうを収穫することになってしまったのです。当時のケラーマイスターが「こんな(見事な)ワインは味わったことがない」と言ったと伝えられています。

なぜ伝令が遅れたかは今日に至るまでわかっていません。大事なことは、シュペートレーゼというスタイルのワインがドイツワインにおける重要なカテゴリーとして今も存在していること。ちなみにカビネットの誕生も修道士がワイン造りをしていた時代のことです。彼らは一番良く出来たワインの一部をケラーのカビネットと呼ばれるコーナーに保管していたのです。

選帝侯クレメンス・ヴェンツェスラウス・フォン・ザクセン

1787年

トリーアの選帝侯で大司教でもあった彼は、ワインの知識が豊富で、モーゼル地方に決定的な影響を及ぼした人物です。彼はワインの品質向上のため、7年という期限を設け「質の悪い」品種をリースリングに植え替えるよう命じたのです。こうして世界最大規模のリースリング栽培地域が誕生したのでした。

アイスワインの誕生

1830年

ドイツのアイスワイン発祥の地は、ライン川のほとりの街ビンゲンに近いドロマースハイム。おそらくドイツ初であろうと言われるアイスワインは、1830年2月11日にこの地で収穫されました。ヴィンテージは1829年産となります。高品質でなかったために造り手が放置し、冬になってから家畜の餌にしようと収穫したぶどうが凍結しており、試しに圧搾したところ、非常に糖度の高い凝縮した果汁が得られ、アイスワインの誕生となりました。

協同組合の誕生

1868年

「マイショス醸造家協会」はアール地方の18人の醸造家が結成した、ドイツ初の醸造家協同組合です。今日ではこうした協同組合が全てのワイン生産地域に存在し、ドイツのぶどう畑の約3分の1が組合員の畑となっています。協同組合は副業でぶどう栽培を営む人口の多いヴュルテンベルク地方とバーデン地方において重要な存在です。


フィロキセラの襲撃

1872年以降

北米から運ばれた害虫、フィロキセラ(レープラウス)がヨーロッパのワイン産業に危機をもたらしました。フランスでは1865年以降、多くのぶどう畑が破壊されました。 その後フィロキセラは、ボン近郊、ザクセン地方、バーデン地方、そしてモーゼル地方にも被害をもたらしました。途方にくれた醸造家たちは石油を使ったり、あらゆる手段で害虫を退治しようとしましたが、徒労に終わりました。1872年、アメリカ原産のぶどうがフィロキセラに耐性があることがわかりました。以来ヨーロッパ品種のぶどうはアメリカ品種の根に接ぎ木されています。ドイツには自根のぶどうはほんの僅かしか残っていません。フィロキセラは今だに完全に退治されたわけではないのです。

大切なワイン検査

1903年

ワインの偽装はすでに中世期から行われており、厳しい罰則が課されていました。1471年、ある醸造家がワインに水を混ぜたため、生き埋めの刑に処されました。ワイン偽装に関する初の王法が発令されたのは1498年のことでした。1903年になると当時のファルツ行政区に初めて専任のワイン検査員が配置されました。今日ではドイツ各地でワイン検査員が活躍しています。検査員はボトルワインと樽ワインの製造条件、基準の維持、官能検査を、抜き打ちで醸造所に出向いて実施するほか、エティケットの表示が正しいかどうかについても検査を行っています。

ドイツワインの女王

1949年

ファルツ地方ダイデスフェルト出身のエリザベス・ギース(旧姓クーン)がドイツ初のワインの女王に選出されたのは1949年のこと。ドイツワインの女王の誕生は、ドイツ連邦共和国の誕生と時を同じくしています。ドイツワインの女王は1年間の任期中、国内外におけるドイツワインのスペシャリスト、そしてドイツワインの大使として活躍しています。女王が参加する催事は年間100を越えます。


ワイン法がもたらしたもの

1971年

1971年に制定されたワイン法は、今日のドイツのワイン産業の基礎を築きました。この時に制定された生産地域や畑の名称は、今日もなお有効です。同時にクヴァリテーツワイン、プレディカーツワインといった品質等級も決められました。この法律の基本理念は、欧州連合内で連携し、ワイン市場の組織化を行うことでした。

そして13生産地域に

1990年

ドイツ再統一後、ワインの生産地域が増え、13地域となりました。新たに加わったのは、ザクセン地方とザーレ・ウンストルート地方です。

リースリング・ルネサンス

1995年

リースリングが再びドイツワインの王者とみなされるようになりましたが、これはごく最近の傾向です。(全世界のリースリング栽培面積の60%がドイツにあります。)世界各地でドイツ産リースリングの需要が伸びており、品質にも消費傾向にも変化が見られます。また、造り手も、ますますリースリングに力を入れるようになっています。

ビールよりワイン

2001年

2001年、ドイツ人のワインへの出費がビールへの出費をほんの少し上回りました。家計に占めるアルコール飲料への出費の割合が、ビール32,2パーセントに対し、ワイン32,3パーセントとなったのです。ビールの消費量がワインよりもはるかに多いドイツ、この逆転は歴史的な事件です。現在では、この差はますます開いています。

赤ワイン・ブーム

2006年

1981年以降、赤ワインの生産割合がコンスタントに増加し、2006年には36,9%に達しました。ドイツ人の赤ワイン消費は増加しており、多くの造り手がぶどうの植え替えを行う際に、新たにシュペートブルグンダーやドルンフェルダーなどを作付けしました。最近では、赤品種の栽培面積はやや減少しています。

ワイン文化のハイライト

2010年

ドイツ・ワインインスティトゥート(DWI)は 2010年以降、ワイン文化の歴史と伝統が息づく場所などを「ワイン文化のハイライト」と称して表彰しています。伝統あるぶどう畑やワイン博物館、古代の圧搾場や伝統を守るワインづくりの村などがその対象となっています。